寺院紹介

山門長念寺は応永元年(1394年)に日蓮社岌ぼん上人が、この地にあった朽ち果てた地蔵堂を修繕し、脇に草庵をかまえ、浄土宗の念仏の教えを広めていったと伝えられています。
時代は室町の足利義満全盛の頃であり、南北朝の動乱も収まり、この周辺では新田氏の末裔、岩松氏が台頭し、金山南麓に蛇行する八瀬川の水利があるこの周辺に人家が定着し始めた頃と考えられます。

浄土宗の元祖、法然上人のお念仏の教えは、二祖鎮西上人の後をうけた良忠上人により1250年代以降、関東地方各地に広まって行きました。良忠上人には多くの弟子があり、六流派に分かれて法燈が伝えられましたが、そのうちの藤田派は性心上人により茨城県の猿島郡を中心に教えが広められ、1300年代には武蔵の寄居や上野の中野に諸寺院が創建されており、長念寺もその流れをくむものと思われます。

長念寺は数次の火災に見舞われており、残念ながら古い資料は残っていませんが、江戸時代中期以降に太田の街の発展と共に寺院規模が拡大安定したものと思われます。橋本本陣家の墓地に並ぶ国筐印塔や、江戸中期以降の年代が刻まれた墓石からもそれが推測されます。

現在の山門は文政4年(1821年)の建立で、総けやき造の立派なものです。同時に本堂も建立されており、現在のものより一回り大きく、その本堂で明治30年(1897年)4月11日に『群馬県尋常中学校新田分校』が開校されました。
翌31年4月5日に現在地に移り『群馬県立太田中学校』となり、現在の『群馬県立太田高等学校』に至っております。これより群馬県内でも有数の進学校であり、県立高崎高校、県立前橋高校と合わせて群馬県の御三家の1つである太田高校の発祥の地ということで、受験シーズンに合格祈願に訪れる方々もいます。群馬県立太田高校

明治時代には海外歴訪の成果を太田に持ち帰り、金融・鉄道・電力・政治の各分野の礎を築いた『葉住松堂翁』と言う傑出した人物も長念寺に眠っております。その本堂も明治32年に全焼し、大光院別当の内野俊亮上人が25世となり、明治38年に再建いたしました。

内野俊亮上人は広く地域の為に活躍され、一般の仏教会組織として、太田の有識者を勧誘して『楽生会』を組織し、貧困家庭に医療無料券発行等の福祉事業を展開、教育方面では子女のために大正4年に『太田女子実業補習学校』を開校、翌5年に常見ろく女史の『常見裁縫伝習所』と合併し『太田裁縫女学校』を設立、初代校長となりました。
その学流は現在の『私立常盤高等学校』となっています。また、太田の幼児教育の草分けとして昭和11年に塚越実則先生により創立された『太田幼稚園』の設立に際しても尽力いたしました。

26世稲村貞雄上人時にも昭和39年5月に本堂が火災に見舞われ、上半分を消失し、昭和42年に現在の桃山様式の本堂が再建され、現在に至っております。
26世稲村貞雄上人は老朽化した庫裏を昭和58年に改築し、同60年墓地北裏に駐車場を確保、昭和61年に27世に代を譲った後も境内整備を図り、参道敷石改修・東門標新設、平成2年本堂改修・墓地西側塀改修、亡くなった平成3年には病床におきながらも、歴代上人の墓地整備まで行うなど、寺門の興隆に務め、中興の号を本山より下賜されております。

貞雄上人も広く多方面で活躍され、浄土宗においては昭和30年代の浄土宗合同の際に宗会議員として尽力し、群馬教区長・浄土宗の監正審議委員・大本山増上寺布教師会副会長・浄土宗指定布教師・教区会議長・全国議長会監事を歴任。仏教会では太田・新田仏教会長・群馬県仏教連合会副会長・前橋刑務所教誨師を長く務め、幼稚園では太田市私立幼稚園協会会長・群馬県幼稚園協会副会長を務め、公職としては市議会議員・民生委員・防犯委員・社会教育委員・人権擁護委員・図書館協議委員・調停委員・社会教育団体連合会会長等々多くの要職を務めていました。

jizouこのような中で、26世貞雄上人住職時に長念寺は墓地等の整理を計り、檀家の拡大に努め、寺院整備が行われ、その基盤が確立されました。 平成6年には長念寺開創600年を迎え、更に整備事業を計りました。本堂内の整備として本尊阿弥陀如来脇侍の観音・勢至両菩薩像を新たにお迎えして開眼し、篤信の寄進者により外陣壁面に二十五菩薩像を安置し開眼いたし、本尊前の須弥段上の法然上人・善導大師の御像を安置するお厨司を新調しました。柱巻水引き幕も熊谷の藤村一郎氏の御厚意で新調させていただき、山門にはセンサー警告灯を設置、門前の植栽整備も行いました。

住職紹介

 

稲村博道
稲村博道(イナムラ ハクドウ)
群馬県立太田高等学校卒
大正大学仏教学部仏教学科卒
大正大学大学院仏教学研究科仏教学専攻修士課程修了
『梵網経』下巻について
大正大学浄土学研究室大学院研究紀要 3, 34-36, 1977
浄土布薩の一考察
大正大学浄土学研究室大学院研究紀要 4, 13-16, 1978
聖冏における浄土布薩戒の検討
大正大学浄土学研究室大学院研究紀要 5, 37-39, 1979